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【第2回 ランジェリー雑記】
日本女性はいつからパンツを履いた?
皆さんは日本人女性がいつから西洋風の下着(現在で言うショーツやパンティ)を着用するようになったと思いますか。
最初に普及しはじめたのは明治維新のあたりの社交界で貴婦人方が、社交ダンスなどの装いをするときだといわれています。
※最初に着用したとされるのは明治4(1871)年にアメリカへ留学した津田梅子ほか5人の女性がだと言われています。
この時代、一般庶民と言われている階層の人たちは、洋服なんて着たことがなく、普段着は和服で下着を着用しないという文化が根強く残っていたはずです。
では、一般的に西洋風の下着が広まったのはいつ頃なのでしょうか。
実はこれは昭和初期に起きてしまった、ある悲しい出来事がきっかけと言われています。
時は昭和7年、日本に西洋文化が普及し始めた時代です。
日本橋にあった白木屋百貨店の4Fのおもちゃ売り場ではクリスマスツリーが展示されていました。
そのクリスマスツリーから火災が発生したんです。

【昭和6年の白木屋】
そして火災部分よりも上の階に閉じ込められた来店客・店員等が命綱を持ちながら避難していました。当時の日本女性は着物が普段着の為、いわゆるノーパンなわけです。
ですから着物の裾がまくれてしまい下の人に見られてしまうのは死ぬほど恥ずかしい事なのです。結果、裾がまくれるのを防ぐ為、命綱をはなしてしまい落下してしまった女性が数多くいたとのこと。当時、ほとんどの女性は和服が普通で、下着は腰巻だった為なのでしょう。この事件の後、当時は娼婦が履いていたとされるズロース(中世のドロワーズが語源)の必要性がさかんに言われるようになったとのことです。
なんとも、悲しい悲劇により、日本女性はズロースを履き始めたというのが、この説です。
羞恥に耐えるよりも命を落とすという選択をするところに、当時の日本人女性の奥ゆかしさが象徴されているともいえます。
しかし、
実は・・・・、
この事件・・・・、
現在では、何の根拠もない都市伝説的な話だと言われています・・。
この事件で、「裾を押さえようとしたために墜落死した」という事実は確認されていないと言うことで、事件の後で百貨店専務の談話として新聞発表があり、このような通説が生まれたとされているようです。
事実、この事件後にズロースの販売数が伸びたという事実は確認出来ていないそうです。
裾の乱れを気にして命綱を離してしまった人が居たのかどうか真相は別としてもこの事件が世の女性にズロース(パンツ)が普及した要因となった可能性は否定しきれません。
そして昨今の女性が身に付けるセクシーランジェリーもこの事件がなければみることが無かったかもしれません。それにしてもこの時代の人が今のセクシーランジェリーを見たらどう思うのでしょうか?
こんな物を着用させられるなんて拷問のように感じてしまうかもしれませんね。
【追記】
日本に西洋風下着(ズロース)という物の存在が広まった説として、関東大震災が起因しています。
震災による被害者の亡骸が累々とした状況の中で、女性については見るも無残な姿だったといいます。
震災を見た、ボーイスカウトが「女性よ、改良サルマタをはきたまえ」と説いて回ったそうですが、当時は全く普及しなかったといいます。
原因の一つには、下着を履かない利便性に慣れてしまっていて、普及しなかったということです。
その頃、パンティの前身であるズロースと言うものは、あるにはあったようですが、洋服の下へ着用するものでした。
当時の日本人女性は着物が一般的で、洋服は効果で一般庶民には普及していませんでしたから、当然洋服の下に着用するズロースも普及するはずがありません。
当時の日本で洋服はとても高価なもので、それを着れるのはごく一部の人に限られていたというのが現実のようです。
結果として、日本人女性にパンティが広く普及したのは、特別なきっかけがあったのではなく、普段着が着物から洋服へ移行する際に、同時に普及したというのが、真意のようです。
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